本日1月31日で AID-DCC, Katamari Inc. の最終出社日でした。(2月末までは在籍しています)
結局いろんな方にご連絡できず、このような場でのご報告になってすみません。
2011年3.11の震災少し前に面接をし、2011年4月1日に入社してから丸々3年間以上お世話になりました。(有給代休等を含m(ry
当時仕事での実装経験が浅かった自分を拾ってくれたのは本当にこの会社だけでした。(そんときはまだflash10ヶ月くらいだった)
実はここは、大学のゼミ室でひとりWEBデザインノートを読みながらかっけー!と憧れていた会社で、入る前から1人勝手に興奮したりしていました。
ブログやtwitterで見てたあの人やあの人やあの人達と働ける!現場を見れる!盗める!とワクワクしてました。
結局3年経った今でもやっぱり各々の領域でのプロフェッショナルと思える人達との仕事は、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
最初から最後まで本当に多くのプロジェクトに関わらせてもらったんですが(つくったのだけでも20プロジェクトくらいあった)、
2年目からは ZIMAのPARTY SHUTTLE, MEDIASの徳井義実解放作戦, 丸の内KITTEの想い桜プロジェクト,
JRAのSCROLL DERBY, Yahoo!のさわれる検索 などリアルタイムイベントやWEB以外の大きな制作もやらせてもらえるようになり、
だんだんと現場寄りの開発が楽しくなっていきました。そうした仕事の合間、去年のG.W.にunframeというグループ展で
.hitoというインスタレーション作品を作り、広告とはまた違う制作の楽しさを経験しました。
当時の制作ログの最後にも「こういう割合を自分で増やしていきたいし、今後自分の仕事にしていきたいと思った。」とあるのを読んで、
感じてたことは前からずっと変わってなかったな、と妙に納得しました。
それと同時に、3年間もいれば自分はいろんな(当たり前でなかった)ことをだんだん当たり前と勘違いするようになってしまい、
この贅沢な環境でのそんなもったいない日々の過ごし方を一度考え直す必要があるなぁと思うようになりました。
そして結局、やりたいことがあるなら自分でやれるようになるしかないし、
その為に最短最速で成長できる方法を自分なりに考え、やりたいようにやろうと決めました。
(入社して一番始めに頂いた教えが、「何がやりたくて何ができるのか。そんだけ。」)
自分の人生は1回きりだし、それによってこの人たちに迷惑をかけることになってでも、いつかちゃんと仕事で恩返ししようと。
そうして考えた結果、ただただ今はもっと現場開発の経験が欲しい。というのが唯一の退職理由でした。
なんで現場開発の経験?ってのは、ほんといろいろあるんですが、具体的な直近の自分の目標を考えると、
美術館での展示、6年後のオリンピックへの参加、ウェブ領域だけに依存しない独立。
これらを実現出来るだけの経験と実力、市場価値が自分に欲しいということでした。
大それたことを言ってるのは分かってるんですが、もう大口叩いて全部クリアしていこうぜと。
過大評価も否定せず全て受け入れ、アウトプットで応えましょうと。そういったスタンスになりました。
そんなこんなで改めて、みなさんどうもありがとうございました。本当にお世話になりました!
この会社は自分にとってめちゃくちゃ最高で、想像通りすげーかっこよかったです。ここで働けてよかった。
そしてまたこの先、仕事の場でお会いできるのを楽しみにしています。僕は再びみんなに出会えるよう頑張ります。
Thanks, AID-DCC & Katamari Inc !!
また、今後については2月中はお休みしながら全然会えてなかった人たち(家族含め)に久しぶりに
会いに行こうかなーと思ってます。3月からは Rhizomatiks というところで働きます。
というわけですので、ずっと会えてなかった方々2月中に飲みましょう〜。
誘ってください。誘います。
僕はワインと日本酒が大好きです!
you
後日、ゆーすけさんから。
この写真は新宿アルタ前でMEDIAS-徳井義実解放作戦-のイベント直後。