おいし”そうな”ラーメン屋問題

先週末、武蔵野美術大学で行われた公開授業、
西村 佳哲さんの「何の為のデザイン?」に参加した。

ここで聞いた話で、ひとつ考えてたこと。
デザインが付加価値の為に使われることが増えたという話。

おいし”そうな”ラーメン屋問題。w

名前だけを聞くとふざけた話に聞こえるけど、けっこーはっとした。

内容はすごく簡単に説明すると、
おいしそうに見えるラーメン屋がすごく増えた、と。
何だか毛筆体で書かれた和風の店舗とか看板とか。
で食べてみると、なんだ、ふつーじゃん。っていう誰もがある経験。
この例え話の中で西村さんが言ってたのは、
こうした見え方だったり付加価値の部分にデザインが
使われることが多くなってきているということ。

あ、前もって。これらは全部自分でそのとき聞いた感想だったり
思いっきり主観なので、西村さんの言いたかったことは全く違うという
ところも多々あるかと思うのであしからず。

で、もちろん店の雰囲気とか、味以外の部分(付加価値)が重要なのも
重々承知で、問題なのはその付加価値(ここでは店舗外観とかの意匠的なデザイン)と
本価値(ここではラーメンだから味でしょ)のバランス。

ここ最近になってこの付加価値ばかりが高いお店、
いわゆる、おいし”そうな”ラーメン屋問題。を良く目にする、と言う話だったと思う。

僕はこの背景には少なからず道具の発展が関わってると思う。
デザインという本質的な難しさは置いといて、それでも道具の発展による
デザインの”行い易さ”は否定できないと思う。

ただ、デザインし易くなった環境とデザインの担う役割が変化することは全く別の話。
本価値を高める為の制作はするべきだと思うけど、付加価値を高めるためだけの
デザインなら、その時間を本価値を高める制作の時間に充てるべきだと思う。

見た目はある程度やったなら置いといて、(決してやらなくていいと
いう訳じゃない)本価値を高める為の制作、つまりここでは調理の質を上げる。
そこを見誤ってはいけないなぁと、あたりまえのことながらはっとしました。

自分の制作が付加価値の為のものなのか、本価値を高める為のものなのか、
付加価値だとしても、まだそれ以上に必要な制作なのか?
もしかしたらデザインよりも、もっと最適な解の制作があるんじゃないか?
そちらを勧めてあげた方がお互いHappyなんじゃないか?

制作の人間でありながらも、盲目的に一点に集中しすぎないで
ちゃんと本来の問題を見て、
自分の仕事を丁寧に行って行きたいなぁと思いますた。

長くなったのでtwitterあきらめてblogにした。w

you